問題の取り扱い方
- 藤岡 美保
- 2019年3月16日
- 読了時間: 4分

先日、学生さんからこんな話を聞きました。
「過去に不登校をしていた時、親は私の気持ちよりもどうやったら学校へ行けるか、いろんな手立てを考えて私に示していたけれど、あれはきつかった」と。
ものすごくいじめられていたとか、先生とそりが合わなかったとか、そういう具体的なことではなかったから余計に親は行けない理由を知りたがった。でも自分でもはっきりとそれを言えなくて余計にいろいろ聞かれて、結局のところ親が納得したかったのではないか。首に縄をつけるように、引きずられるように学校へ行かされることはなかったけれど、行けない自分とも戦い、味方であって欲しかった親の「善意」とも戦わなければならなくて大変だった。
その人は今はその時期を乗り越え、大学に通っている。
「今振り返って、あの時親にどうあって欲しかったの?」と聞くと「共感でしょうか、ね」と言った。
親として「辛いのね」「しんどいのね」「学校へ行きたくないのね」とだけ言い続けるのは結構大変な時もあると思う。不登校はとても大きな事柄なのだが、親の態度はちょっと横に置いておいて、この「自分と同じ気持ちをわかって欲しい」とか「こんなに辛い思いをしているのを、同じように大変なことだと感じて欲しい」と、気持ち重視というか、感情にフォーカスする人がどうもいるようだ。
それとは違って、感情には手を付けずに何か事柄が起こった時に、その事柄を重視し、それを解決しようとするグループに属する人達がいる。
この二つのグループの人達は、問題の取り扱い方が本当に違っている。感情重視のグループと、解決重視のグループだ。
家族の中でもこれは結構対立を起こすことがある。
先ほどの学生さんは、「あの頃は親が自分の話を聞いてくれていないと本当に思っていた」と話す。でも詳しく聞いてみると「今日は体調が悪いの?医者に行く?遅れても行く?でも無理にとは言わないよ」と言っていたらしい。親は無理強いは決してしなかったと言うが、本人はこういうやりとりは、会話になっていなかったと振り返る。
「今日は学校休む」
「体調が悪いの?」
「頭がガンガンする」
「お医者さんに行く?」
「そこまでは・・・」
「保健室登校にする?お母さんが車で送って行ってもいいよ」
「・・・・」
「でも無理にとは言わないよ」(この親の気持ちは本当)
よくある会話だと思う。
これをすれ違いの会話だと判断するのは難しいのは、多分私が解決重視のグループに属しているからだろう。
断っておかなければならないけれど、ここでは、休ませることや子どもの言うことをそのままうのみにするのはどうなのということを判断するかどうかという問題とは別のことを書いている。
確かに親のやっていることは、分析と提案だと言える。
これは心配しているからこそ言えたりやったりすることではないのか?と言われれば、その通りだと思う。それでも感情重視のグループの人からすると、明らかに自分の感情、心の動き、気持ちに触れてもらってはいないと感じているということだ。
この時の辛さ自体は、目にみえないし(辛そうにしている子供の様子は見える)、言葉で言い表すのが難しい(「辛いね」というたった一言で終わってしまう)、その学生さんが言うように気持ちに触れるのはとても難しい。
多分、言葉ではなく自分を包み込む相手の雰囲気、しぐさ、まなざし、そういった言語以外のものがあって初めて安堵したりホッとしたのではないかと思う。
解決重視のグループはどうしても言葉が多くなってしまう。
質問するのは解決するため。提案は解決するためだから。しかも頭を使って瞬時にそれを行う。でも眼の前に居る相手が思っていることを掴むのは結構努力がいるかもしれない。
極論を言ってしまうと、感情重視のグループの人は、解決よりも自分の気持ちの中にはまり込んで、事柄の解決よりも自分の感情の取り扱いに意識が行く。だから解決重視のグループから見ると、何も進捗がなく、だからますます(大抵は)ネガティブな気持ちの中に留まっているように見える。
これは自動反応だから、ここから離れるには意識することが必要だ。
感情重視のグループの人は、気持ちのループに嵌っていないか、そうだとしたら少し動いてみる。
解決重視のグループの人は、家族や親しい人の悩みや辛さを解決しようとする前に、十分その気持ちを汲む努力が必要かもしれない。
共感というのは、全く同じ気持ちになることではないと思う。
その人が感じている気持ちに名前を付けること。「辛いんだ」「悲しいんだ」「苦しいんだ」でもただ口先だけで言うのは届かない。自分の中にある「しんどさ」「やるせなさ」「残念さ」「辛さ」「悲しさ」「苦しさ」を掘り起こして重ね合わせることで現れる慈愛のようなものではないだろうか。
「無理にとは言わないよ」というのは、労わっているようでやはり自分の感覚からは出ていないような、まだ不十分なような気がする。




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